2010年10月20日水曜日

抹茶ロールケーキ

久々に鉄道以外の話題を


このブログのイメージキャラ、おなじみ「まっちゃま」。

9月に三重に帰省した際、あるサービスエリア売店でこんなものを発見
こちらは食べられます・・・
複雑な気分でした

2010年10月18日月曜日

201系、長野へ

2010年10月17日、201系は長野へ最後の運転が行われた。
H7に乗れない私は東横ドリームさんと松本まで追いかけることに。

甲府




無事に甲府に到着したのを見届け、私たちは後続のあずさで松本へ先回り



松本










最後の幕回し












最後に201系と並んだE351系はS4編成だった


ホームの向こう側にはS3?編成も
ゆっくりと出発










私が撮った最後のH7編成



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10月17日まで1年と少しの間、特に末期は毎日のようにオレンジの201系を追ってきた理由、それは「201系が好きだったことに気付いた」ことからだった。
小さい頃は時々乗る総武線のE231系の新しさにいつも感動し、201系を好きだと明確には思っていなかったのである。

しかし引退が近いと知り、初めて201系をよく見るようになると、急に焦りの気持ちが出てくる。
「小さい頃から見てきた201系が、なくなってしまう!」

手元には201系のおもちゃが沢山ある。小さい頃描いた電車の絵は殆ど201系だった。201系の細かいところを見ていた記憶(120周年ステッカーや、運番表示器のLED化など)。
知らないうちに好きでいて、愛着もあったのだろう。

私はカメラを親から借り、友人と201系を追いかけるようになる。
「今まで201系を撮ろうなんて考えたこともなかったけれど、出来る限り写真を撮って手元に残しておきたい」、そう思っていた。

しかしカメラを手にした時期は既に遅く、
・分割運用から撤退。ホリデー快速の緑色のヘッドマークは記憶にしか残っていない。河口湖まで乗っていく夢も実現しない。
・青梅・五日市線用の車両は既に消滅。原型に近い顔は見ることが出来ない。

悲しいことにその時中央線201系はH4、H5、H7(、四季彩)しかいなかったのだ。


有名な撮影地での撮影は一通りクリア。
自転車で出かけて撮影地探し。
勿論201系に乗って東京〜大月(青梅)は何度も往復した。
家族で出かける時も201系に偶然乗れた。
201系との記念写真も何枚も撮った。

これからは、中央・青梅・五日市線のE233系を追う予定でいる。初めて見た・乗った電車は201系、記憶から引っ張りだすと、沢山の思い出が出てくる・・・
生まれた時から十数年間、201系と数々の思い出が出来たことを嬉しく思う。これからはE233に注目することになるが、オレンジの201系は生まれた頃から世話になり好きだった車両として、いつまでも忘れずにいたい。

2010年10月15日金曜日

201系最後の装飾

運用を離脱した翌日のH7編成の様子を見に、豊田車両センターへ行ってきた。

クハ201-1


・・・この時奥にH7の姿が見えた

武蔵野線の209系500番台は相変わらずいるが、さらにE653までいる


急いでH7の元へ移動すると、今まさに屋根の下へ入ろうとしているところだった


顔を出したままで停車したので、ラストラン用のヘッドマークが丸見え
東京行になっている
E233系と並ぶのもあと僅か


武蔵野209は「千葉みなと」行きになっている


E233とE653


ここでH7に戻ると、幕回ししたようで豊田行きになっていた
「技」の旗を掲げ、顔を出したままの状態が続いた

2010年10月14日木曜日

最後の快速東京行・・・

中央線201系H7編成が一般の人々を乗せる最後の日。

武蔵境
最後の一日はまだ始まったばかり


国分寺
最後の中央特快
最後の高尾行でもある


高尾
最後の高尾駅停車


全然最後には見えない


新宿
ここで午前が終わる=H7に乗れるのはあと半分


中野
まだ青梅特快が残っている


立川
最後の上り青梅特快
上りとしての特別快速はこれが最後


四谷
最後の青梅特快(青梅行)
201系の特別快速が見納めに


東青梅
白いヘッドマークを見られるのはここまで・・・


青梅
これは最後の青梅線入線でもあった


吉祥寺
おなじみの東京行きもあと1回を残すのみ


武蔵境
最後の立川行


三鷹
最後の東京行
本当に実感が湧かないままここまで来てしまった


東京駅、さようなら


沢山の通勤通学客や鉄道ファンを乗せ、無事に豊田駅へ到着
いつものように豊田車両センターへ向かう


「最後だからちょっと顔をよく見ておこうか」というおばあさんがいた。

豊田の方向幕をバックに記念撮影するカップルもいた。

高尾〜東京を往復する間、今まで鉄道に興味はなかっただろうサラリーマンや女性が、ケータイで201系を真剣に撮っているのがとても印象的だった。

乗っていると、必ず私の周りから201系引退の話が聞こえてくるくらい。

中央快速線と青梅線でのラストランと言える10月14日は、あっという間に終わった。


豊田駅到着前の車内放送
「201系をご利用くださいまして、ありがとうございました」

2010年10月8日金曜日

最後の通勤特快

H7が青梅始発の通勤特快につくことが確定し、同時に私は青梅に停泊している様子を見に行く事に決めた。

通勤特快の営業運転は西立川で撮る事にしていたので、撮影地確保の為に初電から3本目の列車で青梅へ向かった。

しかし、予想外な事にH7が寝ていたは河辺だった
まだ通電もしていない


今まで見た事がなかった私にとっては最初で最後。


E257、E233、201が青梅線で並ぶ・・・
貴重なワンシーン


西立川でしばらく待つ



最後の通勤特快!

何故西立川にしたのか、理由はいくつかあるが
撮影後すぐ乗れることが大きい。青梅線始発だから青梅線で、というのもある

そういや幕を撮っていなかった


ついに201系通勤特快に乗る事ができた。三鷹駅通過後、先行列車がつまり途中で停車してしまうなど、確かにかなりノロノロ運転だったが、いつもは通過しない三鷹と中野を通過するのは乗っていて面白かった。

しかしホンネは「早く新宿についてくれ」。ノロノロなおかげで、国分寺〜新宿がもの凄く長く感じてしまう。

結局、四谷まで乗った。

そのまま折り返しを待つ


三鷹
特急の通過待ち


東小金井で一旦お別れ



そのまま乗車し、三鷹で特快に乗り換え新宿へ

新宿




再び東小金井で、下ってくるH7を
カメラが新しくなってから初めて来た・・・


後続の列車で追い、国分寺で特快に乗り換える事でH7に追いつく
中間クハは47A・・・


多摩川を渡る


日野で何となく降りる


立川


また新宿で降りる


一旦帰宅し、夕焼けが出る時間を見て武蔵境の例の場所へ
残念ながら雲が厚く夕焼けは出来なかったが、時折富士山が見えたりと遠くの山並みは見えた。


最後は幼少時代からの思い出の場所、三鷹跨線橋で見送る
左からE233系、201系、05系、E231系と仲良く走ってきた車両同士が並んだ






201系以外の車両

西立川
E233


東小金井
189






立川
115


E351


E233系の行き先表示が変わる瞬間




新宿
185系湘南色の回送


予想外にカッコいい
このカラーリングでデビューしても良かったんじゃないかと思う


少しこの185系の横で待ってみたが、201系が折り返してくるまで待っていてくれるはずがなかった


武蔵境


E233の時には夕陽が出ていた