2010年10月17日、201系は長野へ最後の運転が行われた。
H7に乗れない私は東横ドリームさんと松本まで追いかけることに。
甲府
無事に甲府に到着したのを見届け、私たちは後続のあずさで松本へ先回り
松本
最後の幕回し
最後に201系と並んだE351系はS4編成だった
ホームの向こう側にはS3?編成も
ゆっくりと出発
私が撮った最後のH7編成
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10月17日まで1年と少しの間、特に末期は毎日のようにオレンジの201系を追ってきた理由、それは「201系が好きだったことに気付いた」ことからだった。
小さい頃は時々乗る総武線のE231系の新しさにいつも感動し、201系を好きだと明確には思っていなかったのである。
しかし引退が近いと知り、初めて201系をよく見るようになると、急に焦りの気持ちが出てくる。
「小さい頃から見てきた201系が、なくなってしまう!」
手元には201系のおもちゃが沢山ある。小さい頃描いた電車の絵は殆ど201系だった。201系の細かいところを見ていた記憶(120周年ステッカーや、運番表示器のLED化など)。
知らないうちに好きでいて、愛着もあったのだろう。
私はカメラを親から借り、友人と201系を追いかけるようになる。
「今まで201系を撮ろうなんて考えたこともなかったけれど、出来る限り写真を撮って手元に残しておきたい」、そう思っていた。
しかしカメラを手にした時期は既に遅く、
・分割運用から撤退。ホリデー快速の緑色のヘッドマークは記憶にしか残っていない。河口湖まで乗っていく夢も実現しない。
・青梅・五日市線用の車両は既に消滅。原型に近い顔は見ることが出来ない。
悲しいことにその時中央線201系はH4、H5、H7(、四季彩)しかいなかったのだ。
有名な撮影地での撮影は一通りクリア。
自転車で出かけて撮影地探し。
勿論201系に乗って東京〜大月(青梅)は何度も往復した。
家族で出かける時も201系に偶然乗れた。
201系との記念写真も何枚も撮った。
これからは、中央・青梅・五日市線のE233系を追う予定でいる。初めて見た・乗った電車は201系、記憶から引っ張りだすと、沢山の思い出が出てくる・・・
生まれた時から十数年間、201系と数々の思い出が出来たことを嬉しく思う。これからはE233に注目することになるが、オレンジの201系は生まれた頃から世話になり好きだった車両として、いつまでも忘れずにいたい。