2015年9月3日木曜日

北海道Road Tripの記録 Part 10 (Fin.)

東日本ロード・トリップ
2015年9月2日(9日目)
岩手県奥州市前沢区(東北道)〜東京
走行464km
総合4890km
スバル インプレッサスポーツ 1.6i


目が覚めたのは、8時だった。昨夜寝たのが遅かったから想定内、ゆっくり出発しよう。売店に行ってみると、ふとリンゴジュースが飲みたくなったので、岩手県産のリンゴをアピールしたジュースを買った。今日は東北自動車道から東京外環自動車道を経由して大泉までひたすら走るだけとは言っても、こんなに長い距離を高速で走り続けるのも初めてなので、気を引き締めていこう。


最終日の今日もとても良い天気だ。上り線は順調に流れており、その流れに乗って走り続ける。関東地方の高速道路は、防音壁が続くために景色が楽しめないことが多かったのであまり好きではなかったが、東北地方ではずっと綺麗な田園風景が見えていて退屈することはなかった。もっとも、スピードが出ていて景色を楽しむ余裕は少ないのだが。飛ぶように景色が流れ、出口やサービスエリアの名前もめまぐるしく変化して、高速道路での移動の早さを実感する。その代わりに料金だけで1万円近くかかるのが痛いが、今は考えないことにする。料金が千円の時代に大学生になっていれば安く済んだのに。


10時を過ぎ、2時間連続で走ったので、国見SAで小休憩。この先で、一瞬だったがとても美しい景色が見えた。北海道はヨーロッパのような自然とするなら、東北はまさに日本らしい自然の風景で溢れている。東北の自然も大好きだ。本来の予定では国道経由で磐梯吾妻スカイラインなどに寄るはずだったものの、時間がないので残念ながら東北道で通過せざるを得なかった。またゆっくり東北地方の自然を巡る旅でもしたいと思う。


あっという間に福島県に入る。実は計画の段階で、往路は日本海側を北上するので復路は太平洋側を南下しようと考えたことがあった。しかし実際に調べてみると、福島原発事故の影響で通れない区間があるために、結構な距離を迂回する必要が生じて、大きな時間のロスになることがわかり、断念した経緯がある。日本中を車で駆け回りたいのに、原発事故のせいで通れない地域があるというのは、何とも悲しく怒りに震える。原発事故が起きる前に、太平洋側の沿岸を走破してみたかった。これ以上、原発が存在する限り東北の自然を見られなくなる場所が増えるかもしれない、などということは考えたくもない。

12時を過ぎ、また2時間連続で走ったので、那須高原SAで昼食をとることにした。SAでの食事と言えばラーメンだ。ここのラーメンは写真でも見るからに美味しそうで、実際に美味しくて満足した。

栃木県に入り、相変わらず美しい田園風景が続く。このまま日光、戦場ヶ原まで行けたらいいなと思いつつ、我慢して走る。


那須高原SAで見つけた無料情報誌にBMWの記事が載っていたのに何故か貰わず、やはり貰おうと思い次の佐野SAでまた停まったが、地域が違うからか内容が少し変わっていて残念。


埼玉県に入ると、下り線で事故が発生していて、まさに渋滞が増えていくところだった。上り線は変わらず快調で一安心。最後の最後に事故渋滞なんて、想像したくもない。


事故現場を目撃してすぐ、川口JCTから外環へと進む。大泉ICまで本当にあっという間で、高速道路はつくづく便利だと感じる。東京都に入った。ついに帰ってきた!


14時半に大泉ICを降り、自宅方面へ。ICを降りていきなり、信号、車、歩行者の多さに目が眩みそうになる。何なんだ、この苦痛でしかない道は。速度は30km/h程度が続き、あまりにも辛い。京急カラーの西武線を初めて見たが、喜ぶ余裕などなかった。踏切を渡ると道路はますます狭くなる。折角東京に帰ってきたのに、辛くて仕方がない。ICを降りて10分も走っていないのに、北海道の道路環境が如何に車にとって素晴らしいものだったかを、心底から痛感した。東京は車が走るところではない。


15時半、無事に自宅へ帰ってきた。久しぶりの自宅へ、インプレッサの中の荷物を運び出す。終わりが近いことを嫌でも実感し、寂しさが募る作業だ。ちなみにこれらの荷物のうち殆どは使わずに済んでしまった。ただし、これだけ多く準備したからこそ安心して旅ができたとも言える。最後に4800kmの長旅を共にしたインプレッサと記念撮影。出発時に1704kmだったオドメーターは、6594kmにまで増えていた。もう馴らしは十分かな。毎日数百kmを走り続け、ノントラブルで旅を終えることができた。さすがインプレッサだ!

このままゆっくり休みたいが、このインプレッサは悲しいことにレンタカーであり、店舗に返却しなければならない。インプレッサへの感謝を込めて、車内を可能な範囲で綺麗にした。あとは、本当に返すだけ。最小限の荷物で再び乗り込んだ。


レンタカー店舗に指定されたガソリンスタンドの価格は高いと予想し、予め地元の安価なスタンドで給油してから行くことにする。店舗までは数十キロはかかるので、店舗付近で数リットル入れれば良い。

青梅街道に乗ると、周りを車に囲まれてとても狭く感じる。ナビの検索履歴を削除しようと思い開くと、この数日間で回った場所の数々が記録に残っている。自分の車なら消すのに忍びないところだが、削除していく。

青梅街道はなかなか混雑していて進まないので、車内を撮影して暇つぶしをしていた。

北海道では他車に合わせてほぼ常にデイライトを続けていたのだが、その安全性を実感したので、東京でも続けたいと思った。しかし、東京でデイライトを実施しているのはバス、タクシー、宅配のトラックくらいだ。どうにかならないものだろうか。


ナビに店舗までのルートを設定したが、往路での店舗から家までのルートとは全く異なるルートを指示してきた。いつの間にか浅草駅前や東京スカイツリーの前を通ることになっていて、特にスカイツリーの正面まで来た時は、インプレッサは最後まで私を楽しませようとしてくれるのか、なんて思ってしまった。

19時に店舗付近に到着し、返却時間まで少しだけ余裕があるので車内で過ごす。そろそろ、キーに付けてあったお気に入りのスピッツのキーホルダーを外す時が来たようだ。少しでもレンタカー臭を消すために付けていたこのキーホルダーは役に立った。また、同じ理由でリアに付けておいたTop Gearの自作ステッカーも剥がさないといけない。旅の途中で浸水して汚れてしまい、これはもう今回限りで使うのをやめようと思う。

インプレッサは...この31-53のインプレッサにはもう会うことはないと思う。24日にレンタカーとして借り出してから、実に11日間も乗っていた。今回の旅がインプレッサで行くことができて、本当に良かった。ありがとう。まぁ、カーシェアリングに全く同じモデルが用意されているので、また乗りたくなったらいつでも乗れるけどね。

長旅を共にしたインプレッサに別れを告げ、駅へ歩いていく。相変わらずレンタカーでさえ別れが辛いなんて、これがもし自分の車だったらどうなってしまうのだろうか。車は私にとって大切な存在である。


20時、電車に乗り込んで、自宅へ帰る。

8月25日から9月3日まで続いた、10日間と4890kmに及ぶ、東日本を一筆書きするロード・トリップがこれで全て完結となった。



(番外編へ続く)

<目次>
08/25 東日本Road Trip Part 1 東京〜酒田
08/26 東日本Road Trip Part 2 酒田〜大間
08/27 東日本Road Trip Part 3 大間〜日高
08/28 東日本Road Trip Part 4 日高〜士幌
08/29 東日本Road Trip Part 5 士幌〜釧路
08/30 東日本Road Trip Part 6 釧路〜納沙布・羅臼〜釧路
08/31 東日本Road Trip Part 7 釧路〜名寄
09/01 東日本Road Trip Part 8 名寄〜宗谷〜余市(前編)
09/01 東日本Road Trip Part 8 名寄〜宗谷〜余市(中編)
09/01 東日本Road Trip Part 8 名寄〜宗谷〜余市(後編)
09/02 東日本Road Trip Part 9 余市〜奥州(前編)
09/02 東日本Road Trip Part 9 余市〜奥州(後編)
09/03 東日本Road Trip Part 10 奥州〜東京
東日本Road Tripの記録 番外編